最高裁判所第二小法廷 昭和63年(あ)452号 決定 1988年6月22日
本籍
福島県東白川郡鮫川村大字赤坂中野宇道少田六九番地
住居
宇都宮市東峰町三五八七番地一五
自動車運転手
鈴木洋樹
昭和一七年七月二日生
本籍
東京都新宿区揚場町一五番地
住居
同北区栄町二一番一二号
会社役員
宮原一
昭和一五年六月一日生
本籍
東京都新宿区西新宿五丁目三五三番地
住居
同新宿区西新宿五丁目一〇番七号 菊池原千代子方
会社役員
中島文男
昭和一七年八月二三日生
右三名に対する各相続税法違反被告事件について、被告人鈴木洋樹につき昭和六三年二月一〇日、同宮原一及び中島文男につき同年三月一四日東京高等裁判所が言い渡した各判決に対し、各被告人から上告の申立があったので、当裁判所は、次のとおり決定する。
主文
本件各上告を棄却する。
理由
弁護人中平健吉、同平川敏夫、同中平望の上告趣意のうち、憲法一四条違反をいう点は、記録によれば、原判決が被告人らに対し東日本同和会の関係者であることをもって差別的取扱いをしたものでないことが明らかであるから、所論は前提を欠き、その余は、量刑不当の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。
被告人鈴木洋樹、同宮原一、同中島文男の各上告趣意のうち、憲法一三条、一四条違反をいう各点は、前記のとおり、原判決が被告人らに対し差別的取扱いをしたものでないことが明らかであるから、所論は前提を欠き、その余は、いずれも単なる法令違反、量刑不当の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。
よって、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判所全員一致の意見で、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 牧圭次 裁判官 島谷六郎 裁判官 藤島昭 裁判官 香川保一 裁判官 奥野久之)
昭和六三年(あ)第四五一号
同年(あ)第四五二号
○上告趣意書
被告人 中島文男
同 宮原一
同 鈴木洋樹
右の者に対する相続税法違反被告事件についての上告の趣意は、左記のとおりである。
一九八八年五月一七日
主任弁護人 中平健吉
弁護人 平川敏夫
同 中平望
最高裁判所 第二小法廷 御中
記
第一点
原判決には憲法第一四条(法の下における平等の原則)の違反(憲法の解釈の誤り)があり、原判決は破棄されなければならない。
一 被告人中島、同宮原は、第一審判決がその量刑理由のなかで、「本件では、ほ脱の手段として、被相続人について架空の連帯保証債務を計上した。そして、これを真実らしく装うために架空の手形を振り出し、裏書し、架空の抵当権を設定し、架空の領収書を作成する等々その手口は手が込んでおり巧妙である。」と判断した点につき、控訴趣意書においてこれが失当であるゆえんを主張したのに対し、原審判決はその理由において「脱税の方法が巧妙である。」と判断している。
また、被告人鈴木に対する原審判決はその理由において「計画的で悪質な犯行である」と判断している。
犯行の態様は、その違法性の軽重に影響を及ぼすものであるが、本件においては、被告人らの犯行態様は国税当局の対応と相関関係にあり、被告人らの犯行の態様は、むしろ国税当局の対応に起因している点を看過して、これをたんに「被告人らの犯行の態様が巧妙である」、「計画的で悪質な犯行である」と判断した原判決は、以下に詳述するように、法の下における平等の原則に違反するものである。
二 本件における国税当局の対応
本件事案は、本来であれば、査察、起訴へと至るべき種類の事案ではなく、国税当局の適切な対応により、修正申告等による適正な納税がなされることにより決着がつけられるべき事案であり、本件の特色は国税当局が特定の意図のもとに、他の同和団体や一般国民と被告人らを差別して被告人らに不利益な取扱いをしたというにとどまらず、被告人らの所属する同和団体である東日本同和会を最近世上問題視されている同和問題を食いものにしている、いわゆるえせ同和団体と誤認したため、本件を「えせ同和退治」のターゲットとし、国の施策である同和対策の一環として国税当局によってよくなされている懇切な修正申告等の指導をなさなかったばかりでなく、むしろ被告人らが同和運動として常々なしている行政への陳情の一環である納税をめぐる国税当局との折衝を脱税の意図へと誘導し、被告人らの行為を脱税へと変容するような指導をし、査察、起訴へと進めたものであり、本件における国税当局の対応は、第一に、国の国税対策施策を受ける他の同和団体に比べ、被告人らを不平等に取扱い、第二に、しかもその不平等の理由がえせ同和退治という事実誤認に基づいてなされ、合理的理由に基づく差別とはいえないものであって、国税当局の対応こそ憲法第一四条に違反する違法なものというべく、このような対応により誘発された被告人らの犯行の態様をたんに巧妙である、計画的悪質であると判断した原判決は、実質的に平等を犯しており、憲法第一四条に違反するものといわざるをえない。
三 本件が国民的課題である同和問題を背景としているために、本来、国税当局がとるべきであった対応があったかを明らかにする必要があり、そのため同和問題、同和問題において行政が果たす責務、同和問題の解決を阻害しているえせ同和問題、及び被告人らが所属している東日本同和会の性質、活動状況についてもこれを明らかにする必要がある。
1 同和問題の本質
いわゆる同和問題とは、日本社会の歴史的発展の過程において形成された身分的階層構造に基づく差別により、日本国民の一部の集団が経済的・社会的・文化的に低位の状態におかれ、現代社会においても、なおいちじるしく基本的人権を侵害され、とくに近代社会の原理として何人も保障されている市民的権利と自由を完全に保障されていないという、もっとも深刻にして重大な日本における社会問題である。その住民は、かって「穢多、非人」と、その集落は「特殊部落」、単に「部落」などの蔑称でよばれてき、現在は「未解放部落」、「同和地域」などとよばれてはいるが、明らかな差別の対象として存在していることには変りはない。
戦後のわが国の社会的状況はめざましい変化を遂げ、政治制度の民主化が推進されたのみではなく、経済の高度成長を基底とする社会、経済、文化の近代化が進展したにもかかわらず、同和問題はいぜんとして未解決のままでとり残されている。近代社会における部落差別とは、ひとくちでいえば、市民的権利、自由の侵害にほかならない。市民的権利、自由とは、職業選択の自由、教育の機会均等を保障される権利、居住及び移転の自由、結婚の自由などであり、これらの権利と自由が同和地区住民に対しては完全に保障されていないことが差別なのである。
2 同和問題についての国、地方公共団体の責務(同和対策立法、人権擁護行政等)
(一)日本国憲法第一一条が「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。
この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことができない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。」同法第一三条が「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追及に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」、同法第一四条一項が「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分または門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」とそれぞれ定めていることからすれば、前記各条項により保障されている国民の権利を確保することは国及び地方公共団体等行政の責任であって、いわれなき差別問題にして、深刻な人権問題である同和問題の解決に努力すべきことは、本来的に、国、地方公共団体の責務である。
基本的人権の尊重を基本原理とする日本国憲法の下で、先に述べたような差別がなされ、未解放部落の住民の基本的人権が侵害されていることは重大な問題であるにも拘らず、国及び地方公共団体は戦後も約四半紀にわたりこの問題への取り組みを放置していたが、ようやく一九六九(昭和四四)年になって、同和対策立法を制定し、この問題にはじめて乗り出した。すなわち、同和地区住民に就職と教育の機会均等を完全に保障し、生活の安定と地位の向上をはかることが、同和問題解決の中心的課題であるとして、一九六九(昭和四四)年七月には、同和地区住民の社会的、経済的地位の向上を不当にはばむ諸要因を解消するという目標をもった「同和対策事業特別措置法」(ただし、一〇年の限時法)が制定された。その後、同法は三年間延長され、さらに一九八二(昭和五七)年それに引き続き「地域改善対策特別措置法」の制定施行をみ、一九八七(昭和六二)年「地域改善対策特定事業に係る国の財政上の特別措置に関する法律」の制定施行がなされ、これら一連の同和対策立法に基づき、生活環境の改善、産業の振興、教育の充実、人権擁護活動の強化等の地域改善対策が推進され、主として被差別部落の差別された状況を端的にあらわしている劣悪な生活環境の改善への取り組みがなされ、今日に至っている。
また、同和対策の一環として、国の機関である地方法務局、人権擁護委員をはじめとして、地方自治体の担当部局、労働省や各省庁等が、人権擁護行政を行い、人権侵犯事件の調査、人権相談、人権尊重精神の啓発・広報、人権擁護事務担当者に対する研修等により、就職差別、結婚差別等の問題についても、その解決に努力してきているのである。
(二) 国税における同和対策
なお、本件は納税に関する問題であるので、納税にかかる同和対策立法に言及することとする。
同和対策立法の中においては、納税関係の事項は存在しない。しかしながら、納税の実際においては、同和関係者に対しては特例的措置が取られてきた。
すなわち、国税庁は、同和地区の歴史的、経済的、社会的背景を考え「実情に即した課税を行うよう留意する」旨の国税庁長官通達を一九七〇(昭和四五)年に出し、これに基づいて各国税局は同和対策室を設け、同和地区住民の課税に配慮している。
また、これにより革新政党系の有力な同和団体である部落解放同盟関係者の税の申告は国税局との合意により、通常のように各自が税務署に行って申告手続をせず、解放同盟の県の組織で書類を作成して各税務署を管轄する上部の国税局に提出し、そこで承認印をもらった納付書の額により、税務署に税を納付するやり方をとっている。
さらに、国税局と解放同盟系の企業連合会との間の合意により、右のようにして提出された自主申告については、国税局は内容調査などせず全面的にこれを認め、仮に調査が必要な場合でも右企業連合会の承認を要するとの、いわゆる「申告是認」といった取扱いが大阪国税局など一部の税務当局でなされているが、それが同和関係者すべてにではなく、解放同盟関係者だけに、しかも日本全域ではなく一部の地方のみで行われるといった税務行政の混乱と不統一とを来しており、同和関係者らからも批判が生じており、同人らの税の不公平感の増大と納税意欲の減退を招来していた。それが、被告人らの本件納税申告の際にも、多かれ少なかれ同人らの意識に納税の問題を安易に考えるといった影響を及ぼしていたことは否めなく、他方税務当局のこのような事態に対する反省が、また本件において被告人らをえせ同和と誤認させ、かかる誤認と相まって、間違った「えせ同和狩り」の執念へとかり立てた遠因にもなっていたことが想像に難くないところである。
3 同和団体の任務
ところで、地域改善対策特別措置法第一条も「この法律は、すべての国民に基本的人権の享有を保障する日本国憲法の理念にのっとり、歴史的社会的理由により生活環境等の安定向上が阻害されている地域(以下対象地域という。)について生活環境の改善、産業の新興、職業の安定、教育の充実、人権擁護活動の強化、社会福祉の増進等に関する政令で定める事業(以下「地域改善対策事業」という。)の円滑な実施を図るために必要な特別の措置を講ずることにより、対象地域における経済力の培養、住民の生活の安定及び福祉の向上等に寄与することを目的とする。」と定めており、右の「寄与する」とは、同和関係者の自助努力を行政が支援する趣旨をいうものと解されるので、同和関係者が自ら経済力の培養、生活の安定、福祉の向上等に努力することを前提とし、行政はこれを支援することを責務とするとの原則に立っている。
しかしながら、社会的、経済的に差別を受けている同和関係者は、個人としては社会的弱者であり、事実上行政への支援を求めることが困難なことが少なくないので、この点を補い、同和問題のため行政と同和地区住民との間の橋渡し的役割をにない、同和問題解決に努めるべき民間の同和団体の存在とその活動の意義の重要性が認識されなければならないのである。同和団体は、本来、国、地方公共団体がになうべき責務を実効あらしめるために、行政と同和地区住民との間で同人らを代表して同人らのために橋渡し的重責を担うものであって、その公共的責務は、きわめて高いものであると言わなければならない。
具体的な民間団体の活動としては、同和問題に関する啓蒙宣伝等差別解消を求める諸運動を行い、また同和関係者の社会的、経済的地位の向上のために行政がが行う一九六九(昭和四四)年以来の「同和対策事業特別法」、「地域改善対策特別法」、「地域改善対策特定事業にかかる国の財政上の特別措置に関する法律」にかかる財政支出の受給対象者である同和関係者たちの受給権を確保するための橋渡し的役割を担ってきているのである。
4 東日本同和会の性質及び活動状況等
東日本同和会は昭和四九年設立され、日本国民は、憲法第一四条「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」ことにより、同和問題の完全なる解決の一助となるとともに民主主義社会の建設に寄与することを目的とし(控訴趣意書添付東日本同和会網領参照)、同和対策事業特別措置法、地域改善対策特別措置法の完全実施、人種差別の解消等を求める諸運動及びこれに関する経済支援、会員拡大、啓蒙宣伝等の諸活動を強力にかつ真摯に実行、推進してきており、現在会員約三万人、地域的には西は岐阜県より以東、北は北海道より以南、すなわち岐阜、福井、愛知、新潟、静岡、長野、山梨、神奈川、東京、千葉、埼玉、群馬、栃木、茨城、北海道の一都、一道、一三県におよび、東京都に中央本部、各県内に県本部の各事務所をおいて、前記の諸運動、諸活動のほか積極的に社会福祉活動を行い、また機関紙を毎月一回定期的に発行し、会員はもとより地方自治体、教育機関、宗教団体等に配布しており、東日本同和会は地方自治体、地方福祉団体等より高い評価を得ており、確固とした同和団体である(第一審提出の東日本同和会定款、第一審証人雨宮光一の証言等参照)。
また、同会は、部落解放同盟、全解連等政党との関係の深い民間団体とは異なり、政党系列による同和運動にあきたらない同和問題に関心を抱く同志によって結成されており、国及び地方自治体から、同和対策立法による運動資金の援助等の恩恵を受けたことはなく、同志会員からの寄付金等により、あくまで自力で会を運営してきている団体で、国民的課題であるこの同和問題の解決への努力を公金に依存しないで行っている独立心の強いことを特色とする民間団体である。
なお、同和対策立法による国の地域改善対策事業はいわゆる属地主義かつ属人主義により実施するとされているが、同会はいわゆる属人主義をとっていて、この点もまた、この会の特徴をなしているので、ここに、同和問題における属地主義、属人主義というものについての説明を加えておくこととする。
地域改善対策特別法第一条にいわゆる「歴史的社会的理由により生活環境等の安定向上が阻害されている地域(対象地域)」を国が都道府県から調査報告を受けて確認し、特定し、このような確認により対象地域とされたところだけで地域改善対策事業及び個人給付的施策を行うのが属地属人主義であり、対象地域出身者及び関係者であればその者がどこにあるかを問わず法の適用を受けるべきであるとするのが属人主義といわれるものである。
東日本同和会は、行政による地域改善対策による財政支出という見地からではなく、対象地域以外でも、例えば悪質な部落差別事件である地名総鑑事件がおこったように同和関係者に対する差別事件が現実に発生することから、現に部落差別を受けている人に着目して同和運動に取り組んでいる。
地名総鑑事件とは、一九七五(昭和五〇)年一二月企業の人事関係において利用されることを目的として「人事極秘・特殊部落地名総鑑」という、全国の同和地区の所在、新旧両地名等を記載した冊子が発行され、この冊子は同和地区住民の就職の機会均等に悪影響を及ぼし、さらには様ざまな差別を招来し、助長する極めて悪質な差別文書であるにもかかわらず、相当多数の企業がこれを購入していたという事実が明るみに出たという事件であるが、このように、いまだに厳として存在する同和関係者に対する就職差別、結婚差別の手段として出身地の調査、追求が就職、結婚等の際に行われている事実が存在することから、同和運動を推進する同会としては、出身地の調査、追求自体が差別の手段とされている現状では、本人が同和関係者であると申告する以上、差別を助長する可能性を持つ生れや出身地の調査を行わないためにも、同和関係においては属人主義がとられなければならないとの確信にたっている。
また、同会の入会資格については、国民的課題である同和問題の解決のためには、部落出身者以外に広く全国民的規模による人々の協力が不可欠であるとの見地から、同和関係者に限定するというような制限を設けておらず、暴力団、ヤクザ等の反社会的団体関係者の入会は禁止しているほかは、広く全国民に本会への加入を呼びかけている。
以上、同会の同和運動に対する取り組みの基本姿勢とその実態を明らかにしてきたが、同会の歴史において、誠に遺憾なことに役員一名(具体的には三条篤理事)が金融機関を舞台にする恐喝を行い、東日本同和会の面目に泥を塗った事件が発生したことも事実である。
しかしながら、前記の役員以外の役員及びその他の会員は、この事件の前後を通じて真面目に同和運動を推進してきており、また同会は、右事実を知るや、起訴前に直ちに右役員の除名処分をして、綱紀の維持についての同会の不退転の決意を内外に明らかにしたのであった。
5 えせ同和問題の台頭
しかるに、同和問題は、さらに新たに厄介な問題をかかえこむことになった。えせ同和(行為、団体)である。
えせ同和(行為、団体)とは、同和問題の解決に努力していないのに努力しているかのように装ったり、同和問題に関する誤った意識、例えば同和(被差別部落民)はこわい等といった差別意識につけこんで利権をあさろうとする行為または団体、すなわち同和問題を食いものにして私腹を肥やそうとする行為や団体をいい、このような行為や団体は一九八二(昭和五七)年初頭ころから全国的に増え初め、とくに同年一〇月から施行された改正商法で、企業から総会屋が締めだされることになったため、それらの総会屋が「同和」の名を使って新しい利権への道を開こうとして、えせ同和団体を結成する動きがめだち、その数も急激にふえたといわれている。
一般国民や行政に害悪を及ぼし、同和問題の解決を阻害するえせ同和を根絶することは、現在の日本社会における重大な問題である。しかしながら、もし、「えせ同和退治」の対象を誤認して、善良な同和団体に対しても及ぶようなことがあれば、「角を矯めて、牛を殺す」という過ちを、同和対策においておかすことになるので、行政がいわゆる「えせ同和退治」対策を行う場合、これに善良な同和団体をまきこむようなことがないように、慎重のうえにも慎重な対処が要請されるところである。
東日本同和会は、これらのえせ同和とは全く無縁のものであり、むしろ同和運動の推進を阻害するこのような行為や団体を排除することが正しい同和運動、部落解放運動を推進するために不可欠であるとの認識のもとに、えせ同和が急増した一九八二(昭和五七)年ころ、このようなえせ同和を公然と批判し否定する方針を採用し、中島ら同会の最高指導者層は、同会幹部らに、このようなえせ同和団体は必ず一〇年以内に淘汰されるから、それまでの間、誤解を受けることのないようにと、一層の自戒を強調要請してきていたのである。
前述の東日本同和会の活動状況等からしても、同会はえせ同和と混同されるような団体では決してない。
四 本件の経緯
以上明らかにした、同和問題が深刻な人権問題であり、その解決は国民的課題であること、同和問題の解決に努力すべきことは、本来、国及び地方公共団体の責務であり、したがって国税当局にもこのような責務が課せられていること、同和問題解決のために果たしている同和団体の同和運動の公共性が高いこと、東日本同和会が同和問題の解決に真剣に取り組んでいる真面目な同和団体であり、最近世上問題視されているえせ同和とは縁のない団体であること等の観点からすれば、同和問題が関係する税の問題につき、国税当局がその職責を果たすためには、えせ同和団体又は行為の暴力的、威圧的な申出等に対しては断固たる対応をすることは当然であり、同和団体としてもむしろこのような対応がとられることを期待するのである。
しかしながら、えせ同和とは縁のない善良な同和団体が同和関係者の納税につき、事実に反する申立をしてきた場合、同和関係者に対して、税務当局としては、一九七〇(昭和四五)年の、同和地区の歴史的、経済的、社会的背景を考え、「実情に即した課税を行うよう留意する」旨の国税庁長官通達に即した対応をとるべきであり、同和関係者の納税の「実情」は、国税当局のとった前記「申告是認」などの措置により、納税についての若干の混乱と不公平、ひいてはな納税義務の軽視といった事態が生じていたのであるから、このような現実を直視し、申告の疑惑については、懇切で粘り強い説得をもって同和関係者に説明をこころみるべきであったし、不正の疑いが明らかになった場合は、直ちに不正の疑いを指摘し、誤解をといて、それ以上の不正工作を進展させることがないように、これを指導すべきであったのである。
然るに、本件において国税当局がとった対応がどのようなものであったか、これを明らかにするため、以下、国税当局が本来とるべきであった対応と現実になされた対応とを対比するため、事件の経過を明らかにする。
1 同和地区は、関西に多いのであるが、関東では埼玉県に多く、なかでも我孫子市内に同和関係者が多い。しかるに同市に地域認定がなされておらず、何ら行政から恩恵を受けていない同和関係者が多数存在することが調査により判明しており、このような地域では同和運動の必要性がとくに大きいことから、当時東日本同和会の副会長であった被告人中島は我孫子市周辺での、東日本同和会の活動、すなわち差別、貧困等により救済を必要とする同和関係者を発見し、これを支援すること、人権差別解消等のための啓蒙宣伝及び同会の会員拡大等の発展を図るためには、地元の有力者の協力が不可欠であることから我孫子市議会議員で元議長であった地元の有力者安井犒とかねてから交際があった。
2 本件における納税義務者である勝矢孝雄は、養父久雄の死後昭和五九年四月中旬頃、自ら相続税額を試算し、これが二億円弱という高額であることに驚き、友人の税務に精通している落合敏夫に依頼して計算してもらったところ、相続税額が約一億円であるということが判明した後、さらにその額の軽減を図って、実兄の我孫子市会議員大井一雄(現我孫子市長)に相談し、大井の先輩議員である安井に働きかけて相続税の減額をはかることにした。
被告人中島は右安井から、勝矢孝雄が同和関係者であること及び多額の相続税を支払わなければならず、苦慮しているので、助けてやってほしいとの依頼を受けた。被告人中島は、右安井の協力要請を承諾した。同和関係者である、勝矢孝雄の窮状を救済することが同和運動の本来的使命であり、安井元市議会議長の要請に応ずることは、将来安井から東日本同和会の同和運動の推進、同会の会員の獲得等に協力を得られると予想できたことによる。
3 被告人中島は、昭和五九年八月二二日安井宅で勝矢孝雄と会い、安井から勝矢の当初の相続税申告書案などを受領したものの、税務に素人で詳しくない上、申告期限が同月二八日と極めて切迫していることから、取るものも取りあえず所轄の柏税務署に勝矢の相続税申告について相談し指導を受けることとした。
その際、被告人らは、前述のごとく一部の有力な同和団体に対して徴税上有利な取扱がなされていたこともあって同和対策立法により同和関係者は徴税上有利な取扱いを受けると考えたため、通常の行政当局との交渉のごとく、相続税についても税務当局と交渉すれば、その額を減額し得るし、仮にこれが無理であれば税務当局がこれを指導してくれるものと考えていた。
また、被告人宮原は、東日本同和会の幹部として、同和関係者のために行政との交渉を数多く重ねてきており、その際、行政との間にある程度の駆け引きをなし、事態を同和関係者に有利に打開することを図ってきたが、今までも行政との交渉の結果、最終的には行政の指示に服するという方式を取ってきており、本件においても、被告人宮原は税務署との交渉において相続税減額のために努力はするけれども、最終的には係官の指示に従って納付すべき相続税額を認める方針であった。
なお、勝矢孝雄は検察官に対して同和関係者であることを否認しているが、被告人中島は、安井市会議員同席のところにおいて、右勝矢が同和関係者であることを述べており、被告人宮原もこれを確認しているうえ、前記のように我孫子市内に同和関係者が多いこと(右勝矢は現在我孫子市である旧東葛飾郡我孫子町の出身)、東日本同和会が、属人主義に立っており、これが正当であることは前に述べたとおりであるから、被告人らが右勝矢を同和関係者であると確認したことは当然のことと言えるし、もし同人が真に同和関係者でないとするならば、虚言を弄して被告人らを本件脱税犯に引き込んだ右勝矢こそ悪質であり、大いに責められるべきである。
また、八月二二日、被告人中島は安井との間において、相続税の減額に成功した場合勝矢からその半額を受け取る約束をしているが、それには、以下に述べるような特別の理由があり、その金額は税額減額の報酬などでは決してなかったのである。
被告人中島は、これより前安井犒の依頼を受け、同人所有の土地に関する紛争の処理解決方を依頼され、その報酬として金三、五〇〇万円を受領する約束になっていたにもかかわらず、右安井は、他のルートによってこの件を解決してしまったために、同人は中島に負い目を感じており、本件において相続税減額の企てが成功したあかつきにはさしあたり勝矢から相続税減額の半額を中島に立替え支払わせることにし、後で安井が勝矢に返すというものであったが、その後同年九月安井が突然に死亡したため、実現するに至らなかったものである。
4 同年八月二四日、被告人中島は、被告人宮原らとともに同税務署に赴き、小林総務課長、木田統括官に面談し指導を受けた。その際被告人中島は小林総務課長に挨拶した程度であり、被告人宮原において木田統括官に相談したものの被告人宮原が当該債務が借入金であるのか保証債務であるのかを明らかにすることができなかったことから、木田統括官から税理士を頼むよう助言され、また被告人宮原が「納税額を六、〇〇〇万円くらいにしたいのですが、その為にはどうしたらいいですか。」と申告者側であらかじめ勝手に納税額を決め、それから逆算して、どのような申告をすればよいのかという尋ね方をしていたこと等から、木田統括官はその時すでに本件の相続税申告に不審を抱き、被告人らが脱税を意図しているのではないかと疑っていた。
5 その後同月二七日被告人宮原らが勝矢と打ち合わせ同税務署に相談に行き、株式会社誠商に戻り、被告人中島は被告人宮原から言われて、勝矢の相続税申告について架空の保証債務を計上することをはじめて承知した。そして翌日の同月二八日ようやく本件の相続税申告書だけを同税務署に提出して申告期限に間に合わせたものであり、その際には、遺産分割協議書、保証債務負担および弁済に関する証書類も添付されておらず、また保証債務弁済に見合う資金的裏付の書類もなかった。
また、木田統括官は、相続税申告書を提出された際、被相続人勝矢久雄は無職であったのに、どのような理由で一億四、五〇〇万円もの多額の債務があるのか不審に思い、その旨尋ねたところ、被告人宮原は単に保証である旨答えるのみであった。
6 こうして、本件申告書提出後の約束手形、領収書など関係証書類の作成、同税務署への提出等は主として被告人宮原がこれに当り、同税務署員に相談した過程において税務署側から、勝矢側が約束手形振出人の有限会社国母興業に代ってその債務を支払ったこと、同会社が支払不能の状態にあることなどの資料が必要で提出されたい旨の具体的指導を受けるなどして、これに基づき順次作成し、同税務署に提出していったもので(同年一〇月二日ころ遺産分割協議書、約束手形写しなど、同年一二月一三日ころ国母興業の商業登記簿謄本、同月一九日ころ領収証写し、各提出)、被告人中島はそれら関係証書類の作成に部分的に関与し、または被告人宮原から事後報告を受けていたにとどまる。
7 同年一〇月二日、被告人宮原は遺産分割協議書、約束手形の写しを提出した際、税務署係官から、本件債務の主張が税務上認められることが難しい様子であることを察知して、被告人中島に対して、「税務署と協議しているが、この案件は難しい」と報告した際、被告人中島は「これだけやってやれば安井市会議員に対しても義理を立てたことになるから無理をしないように、同税務署の指示に従って引き下がるように」と被告人宮原は申し述べた。
本件に使用された約束手形三通には、振出地、住所欄に山梨県甲府市中小河原町一丁目八番三一号、振出人欄に有限会社国母興業、振出日昭和五八年一二月一〇日、連帯保証人千葉県東葛飾郡沼南町岩井四六八番地勝矢久雄と記載されているが、山梨県甲府市所在の会社に千葉県の郡部で農家を営み右会社関係者と何らの縁故関係のない勝矢久雄が連帯保証をしている点不自然であり、しかも各約束手形の金額が三、六〇五万円(小松賢郎あて)、八、三二〇万円(高橋一夫あて)、三、一五〇万円(許勇あて)、といずれも多額である点等から、一見して本件の各手形は相続債務を仮装するための内容虚偽のものではないかと不審の念を起こさせるに十分であったため、柏税務署の総務課長小林明、統括官木田喜春らは、昭和五九年一〇月二日ころ本件の約束手形の写が提出された直後その振出人である有限会社国母興業の住所地等を所轄する甲府税務署への照会により、国母興業は本件各手形の振出日の以前である昭和五八年四月以降の法人税を申告していないいわゆる休眠会社である旨の報告を受け、本件各手形が内容虚偽のものであることを看破し、すでにこの時点で本件相続税申告が、脱税を工作しているものであることを確信するに至っていた。
8 前述のとおり、被告人宮原は税務署との交渉において税務署担当官が要求する書類をのその指示どおりに提出し、これが受領されたことから、同和問題における行政との交渉の場合と同様に税務署が納得したもの、もし疑義があれば税務署がそれを指摘し同人らの主張が無理なものである場合にはそのことを明かにして指導してくれるものと考えていたので、本件は一二月一九日の書類提出によって任務を終えたものと考えていた。
八月二四日から一二月一九日までの柏税務署との交渉の間、被告人宮原は終始穏やかな態度で交渉を進めてきたものであり、その過程において柏税務署の担当者に対して威圧的態度をとったことは一度もないし、他の者も同様である。
五 結論
以上、本件の経緯を明かにしてきたが、このうち国税当局の対応については、柏税務署の木田統括官は、一九八四(昭和五九)年八月二四日、被告人らが初めて柏税務署におもむいた際、被告人宮原が「納付額を六、〇〇〇万円くらいにしたいのですが、その為にはどうしたらいいですか。」と申告者側で勝手に納税額を決め、それから逆算してどのような申告をすればよいかという尋ね方をしていたこと等から、その時すでに本件の相続税申告に不審を抱き、被告人らが不正行為をしているのではないかと疑っており、同月二八日相続税申告書が提出された際、被相続人勝矢久雄は無職であるのに、どのような理由で一億四、五〇〇万円もの債務があるのか不審に思い、その旨尋ねたところ、被告人宮原は単に保証である旨答えるのみであり、相続税申告書提出後同年一〇月二日に、被告人宮原は、遺産分割協議書、約束手形写しなどの裏付資料をはじめて提出したのであるが、この約束手形三通の写しは一見して相続債務を仮装するための内容虚偽のものではないかとの不審の念を起こさせるものであったことから、柏税務署の総務課長小林明、木田統括官らは、本件約束手形が提出された直後その振出人である有限会社国母興業の住所地等を所轄する甲府税務署への照会により、国母興業は本件各手形の振出日の以前である一九八三(昭和五八)年四月以降の法人税を申告していないいわゆる休眠会社である旨の報告を受け、本件各手形が内容虚偽のものであることを看破し、すでにこの時点で本件相続税申告が脱税を工作しているものであることを確知していたにもかかわらず、柏税務署当局は、その後も相続税減額に必要な書類の提出を次々と要求し、この要求に従って被告人宮原はその都度必要な文書を偽造するなどして、同年一二月一三日ころには国母興業の商業登記簿謄本を、同月一九日ころ領収書写しを同和それぞれ提出したというものである。
えせ同和とは縁のない善良な同和団体が同和関係者の納税につき事実に反する申告をしてきた場合、同和関係者に対して、税務当局としては、申告の疑惑については、懇切で粘り強い説得をもって同和関係者に説明をこころみるべきであったし、不正の疑いが明かになった場合は、直ちに不正の疑いを指摘し、誤解をといて、それ以上の不正工作を進展させることがないようにこれを指導すべきであったにもかかわらず、本件においては、柏税務署は、被告人らが一九八四(昭和五九)年八月二四日柏税務署に相談のため来訪して以来、一貫して本件相続税申告につき疑問を抱いていたのに、申告の疑惑について、懇切で粘り強い説得をもって同和関係者に説明をこころみることをせず、同年一〇月二日、はじめて相続税申告の裏付資料が提出されるや、直ちにこの関係を調べて、不正の疑いが明かになった後も、不正の疑いを指摘し、誤解をといて、それ以上の不正工作を進展させることのないよう指導することをせず、逆に、被告人らをえせ同和と疑い、本件をえせ同和退治のターゲットとし、このような偏見から本件を脱税の容疑事実に仕立てるため、動かぬ証拠を次々と提出させて、いわば罠にかけるような対応をしたのであり、国税当局の対応こそが憲法第一四条に反するものといわなければならない。
すなわち、国税当局は被告人らが同和運動として常々なしている行政への陳情の一環である納税をめぐる国税当局との折衝を脱税の意図へと誘動し、被告人らの行為を脱税へと変容するような指導をし、査察、起訴へと進めたものであり、本件における国税当局の対応は、第一に、国の国税対策施策を受ける他の同和団体に比べ、前記国税庁長官通達に違反し、被告人らを不平等に取扱い、第二に、しかもその不平等の理由がえせ同和退治という事実誤認に基づいてなされ、合理的理由に基づく差別とはいえないものであって、国税当局の対応こそ憲法第一四条に違反する違法なものというべく、原判決が、これらの経緯を十分に考慮せず、国税当局のこのような対応により誘発された被告人らの犯行の態様をたんに巧妙である、計画的で悪質な犯行であると判断したのは、その判断もまた、国の同和対策である納税に関する特例的措置の適用において、実質的に平等原則に違反しているといわざるをえず、憲法第一四条に違反するものである。
第二点
原審判決の刑の量定が甚だしく不当であって、これを破棄しなければ著しく正義に反する。
被告人中島および同宮原に対する原審判決は、その理由の中で「被告人両名は脱税額の半分を報酬として受ける約束で他人の納税事務に介入し」、被告人鈴木に対する原審判決は「被告人らの受取った額が三、〇〇〇万円という巨額で」とそれぞれ認定しているが、第一点で述べたごとく、本件の金の性質は、相続税減額に対する報酬ではなく、このことを理由として、被告人らに実刑を課した原審判決の量定は甚だしく不当であって、これを破棄しなければ著しく正義に反する。
最高裁判所 第二小法廷 御中
○上申書
昭和六三年五月一七日
被告人 宮原一
同 中島文男
同 鈴木洋樹
東京都文京区本郷三丁目四〇番九号 石狩ビル三階
東日本同和会 理事長 中川高熙
東日本同和会は昭和四十九年設立、東日本地域を中心として、一都一道十三県に及んで活動を展開しているものであります。運動の根幹となるものは、憲法第十四条に示された『すべての国民は法の下に平等であって人種、信条、性別、社会的身分又は、門地により政治的、経済的又は、社会的関係において差別されない』という崇高なる一文につきるのであります。
本来同和問題というものは、我が国の歴史的発展の経過の中で時の支配、権力、機構の中で形成された差別構造であり、同じ国民がその社会の最も低位に然もそれを恒久に位置づけた所に起因するものであり、その集団は古くより「穢多非人」等と呼ばれ、又近代では「部落民」等として、蔑称されて来たのであります。これは更に、社会の制度化され、定着されたのであります。その住民は、その社会の中で極めて重い差別の中に置かれたのであります。それは個人の意志にかかわる事なく、抑圧の中に生きざるを得ませんでした。戦後は、急速な近代社会へと転換して行く中で、国家の責務としてかかる前近代的社会構造を解消しなければならないと考えられるに至り、この事は国家的問題であると同時に大きい国民的課題として、考えなければなりません。
昭和四十四年に至っては同対法の施行がなされ、其の後法令の変遷を経て、今日に至っているが、斯様な意識の解消又は、国政としての対策は極めて低調と言わざるを得ません。今日に於いても、市民的権利、自立の侵害、職業的差別、教育問題等々の差別問題は、数限りありません。これは近代の文化国家として、あり得まじき事であります。
この解決には、国家国民が総意を揚げて解決への努力がなされなければならないと考えます。
一、設立当時の活動
前記した通り昭和四十九年東日本同和会が設立され、中島を中心として、四~五名の同志が志を一つにして同和運動に身を挺する事になりました。憲法に定められたる国民が差別されない社会を建設するにはその様な本質を解消しなければならないという正義の行動であり、寝食を忘れた活動でありました。
二、活動状況
同和問題解決は、国の責務としてなさなければならないが、一方国民として自主的活動も重要な任務として考え、会員の自立、救済、援助又は、その指導に当り、関係官庁、行政機関等の協力の中に発展させて来たものであります。
又、同和問題の啓蒙啓発の一端として機関紙の発行を継続、更に、書籍出版等も行っています。その機関紙を中心とする教宣活動は社会的評価も極めて高いものがあります。
三、事件の経過と会の見解。
私共は、本件に係る中で第一審及び第二審を通じて、その本質に極めて重大な問題を見出すのであります。今日の文化国家の中で同和問題ということは、国民的課題であり、その解決には国家としての最善の方策を実行する義務が存在しているものと考えます。
同和関係の今日までの歴史的事実を省みるに、実に惨澹たるものがあります。
例えば、税務問題をはじめ、社会生活の中に於いても、様々な差別を受けて来たものであります。
本件は、そもそも我々同和関係同志の救済という事が、大前提であり、事件の発端でありました。
本来、私たち税務問題の専門知識を有せぬ者については、税務当局としては、適切な指導を行い、国民に課せられたる納税の義務を果たさせるのが、行政機関としての正しい姿勢ではないでしょうか。
通常事例として、税務諸問題については、指導の制度もあり、或いは、修正申告等の指示方法等があるにもかかわらず、本件に至っては、何回も税務当局の指示、指導をあおいだにもかかわらず、急遽強制査察、及び当局の告訴という強硬なる手段が取られるに至り、関係者の逮捕事件と発展するに至りました。
本件に関与したとする中島文男、宮原一に至っては、今日まで逮捕歴等も全く無く国民としての納税等の義務も果たしているのであります。又、事件後、本件に関与して受けたる金銭の返済も全て完了しているのであります。
又、鈴木洋樹については、過去の過ちを清算、既に十七年を経過、誠実に社会生活を送っていたものです。
又、相続税問題に関する事判は永い同和運動の中に於いても今回が初回であり、将来に至ってもありえない事であります。
然るに第一審、第二審に於いて、実刑という判決が下されています。
この事件の経過と背景を省みますと、単なる相続税法違反という事でなく、行政及び、検察機関を先頭としたる自主的同和運動への弾圧であり、えせ同和狩りの言葉をかりた見せしめにするという本質的意図が潜在していると言わざるを得ません。
前記しました通り、行政の適切な指導があれば、本件も起こり得なかったものであります。
又、取り調べ経過の中に於いても同和関係者として著しい差別発言を受けたり、鈴木洋樹に至っては、十七年以前の前科問題まで、公開されています。
この様な事実を考察しますと、正にこれは、著しく基本的人権を侵害したるものと断ぜざるを得ません。
本件は本来、憲法に著しく反したる重大なる諸件が存在しているものと考えます。
本件被告三名とも、事件捜査当初より、二ケ月以上に及ぶ長期拘留を受け、心身共に、その処罰に価する苦悩を受け、又、報道機関等によって、充分な社会的制裁も受けたる事を考慮しますと、更に実刑の刑とは、過重すぎると思わざるを得ません。
過去は、過去として、謙虚にそれを受け止め、反省の態度は顕著なものがあります。
私たちは、司法の良心と正義を信じているものであります。
又、私達同志一同は、憲法に示された基本的人権の擁護とあらゆる差別をこの社会から解消する為の闘いは、永遠に続くものであります。
御庁に於いても、神聖なる法廷に於いて、民主、法治国家にふさわしき、公正かつ不偏なる審理がなされる様、心から願うものであります。